恋愛と結婚。

 

この二つを無条件に結びつけている人がいる。

そこまでいかなくても、「恋愛を前提にしない結婚は、かならず不幸に違いない」と漠然と考えている人ならば珍しくない。

最近は婚活やマッチングアプリがメジャーになったけれども、それらを経由してすら恋愛的要素を必須プロセスとみなし、どうにか恋愛をこしらえようとする人もいる。

 

これは、かなり硬直した恋愛観と結婚観ではないだろうか。

もし、昭和時代にお見合い結婚した男女がみんな不幸なら、恋愛は必須要素と言えるだろう。

ところが見合い結婚した人・政略結婚的に結婚した人にも、それなり幸福な男女はいる。

 

翻って、恋愛結婚時代の男女は特別に幸福になっただろうか?

わからない。離婚が増えたという意味では、不幸な結婚が増えてしまったようにすらみえる。

非婚率も、恋愛結婚が本格化した70〜80年代あたりから増加し続け、誰もが結婚する時代は遠くなって久しい。

 

どうあれ間違いないのは、結婚には恋愛というプロセスがつきもの、とみなされるようになったからといって、男女の幸福度が特別に高くなったわけではない、ということだ。

 

恋愛を駆動する「モテ」や「惚れ」は結婚の判断材料として適しているの?

で、私が不思議に思っているのは、なぜ、結婚相手を選ぶ際の前提として恋愛がこれほど重視されているのか? である。

結婚相手を選ぶにあたり、惚れた・腫れたはあてになる判断材料とは思えない。ついでに言うと「モテるか」「モテないか」のたぐいも、そこまで良い判断材料とは思えない。

 

考えてみて欲しい。結婚生活を幸福・円満にするために必要な素養と、モテたり好かれたりするために必要な素養は、どこまでイコールで結べるだろうか?

もちろん、重なっている部分がないわけではない──たとえば思いやりのある性格、恵まれた経済的背景などは、恋愛に際しても結婚に際しても同じぐらい重要で、魅力的とうつるに違いない。

 

けれども、男女関係をゼロから立ち上げたり異性を惹き付けたりするための素養と、いったん出来上がった男女関係をメンテナンスしたり家族関係をマネジメントしたりするための素養は、かなり違っている。

そして幸福な結婚生活に必要なのは後者ではないか?

 

世の中には、恋愛上手と言われる人達がいる。恋を始めるのも、恋を終わらせるのも、とても上手な人達だ。

恋を始めることばかり上手な人を恋愛上手と呼ぶ向きもあるが、そんな、散らかしっぱなしで片づけるのが下手な人は、恋愛下手と言わざるを得ない。

本当の恋愛上手ならば、出口戦略を怠らない。

 

失礼、話が少し逸れかけた。

ともあれ、【恋愛上手=結婚上手】ではない。ときには【恋愛上手=結婚下手】ですらある。

恋愛にとって重要なのは始めること(と終わらせること)であって、維持することではない。

醒めないスープが存在しないように、醒めない恋など存在しないのだから。

 

控えめに言っても、恋愛をスタートアップする素養と幸福な結婚生活をキープする素養には重なり合わない部分がある。にも関わらず、恋愛の評価尺度を結婚相手の評価尺度を同一視し、恋愛を結婚の必須プロセスとみなす人がまだまだ存在している。

そこには大きな勘違いが潜んでいるし、社会の配偶システムとしても非効率だし、個人が結婚後の幸不幸を予測する材料としても巧くない。

 

歴史的にみると、ヨーロッパで愛が世俗化し、恋愛なる概念が洗練されていった一時代において、恋愛と結婚は乖離していた。

貴族たちと高級娼婦の間で洗練されていったのが恋愛なのであって、正規の配偶者は恋愛から切り離され、恋愛とは別枠で存在していた。

ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』によれば、折り目正しい婦人たちまでもが高級娼婦の装いや風習を真似るようになったのは、もう少し後のことである。

 

そうやって恋愛と結婚は接近していき、結びつけられるようになっていった。

こうした歴史的経緯を思い出すにつけても、【恋愛=結婚】と思い過ぎる必要は無いし、思わなければならない道理も無い。

 

恋愛が結婚に先だっていること自体は悪いことではないし、恋愛と結婚が重なり合うことで生まれるメリットもあるだろう。

だとしても、恋愛のうまさと結婚のうまさを同じモノサシで推量すれば見落とすこともある。

恋愛にあぐらをかいて結婚相手を決めるのは危険だし、恋愛に適さない相手を必ず結婚相手として不適とみなすのももったいない。それらの決めつけは、恋愛至上主義的な勘違いと言わざるを得ない。

 

結婚生活にとって「モテ」より大切なもの

じゃあ、恋愛に代わるか、恋愛を補佐するような結婚相手の判断材料はあるだろうか。

 

私はあると思う。それは、長期的な人間関係を維持できる相手かどうか・信頼関係をマネジメントできる相手かどうかを確かめることだ。

公私ともにそのあたりがキチンとしている異性なら、ときめく恋愛には不向きかもしれないが、結婚相手としては完全無欠かもしれない。

もっとあけすけに言ってしまえば、「その異性が、自分の財布や背中を任せられるパートナーたりえるか否か」だ。

 

恋愛と違って、結婚生活は長い。離婚せずにうまくやっていくなら、数十年に及ぶ人間関係になる。

その、長い歳月を幸福に――いや、せめて不幸が少ないように――過ごすために必要な素養は何だろうか?

 

異性を惹き付ける力や、男女関係をスタートアップさせる力、スリルを提供する力ではないだろう。

パートナーがどれだけモテようとも、そんなものが数十年に渡る人間関係に与える影響などたかが知れている。

むしろ、パートナーには過剰なモテは不要とすら言える。過剰にモテるパートナーと結婚すれば、それはそれで気苦労が絶えないからだ。

 

それらよりも重要と思われるのは、

 

1.信頼関係がちゃんと維持できること

2.人間関係のマネジメントやメンテナンスをやる意志と能力を持っていること

3.協同関係や分業関係に適していること

4.経済的な協力関係に適していること

 

のほうだろう。これらの条件を満たしている相手なら、スリリングな恋愛には不向きでも人生を共有するには適していると思われる。

ただ、こうした素養はパートナーに期待するだけでは駄目で、

 

5.自分自身もこれらの条件を満たしていること

 

も重要だ。相手には信頼やマネジメントを期待しておきながら、自分にはその意志も能力も無いようなアンフェアな人では、幸福な結婚生活など望むべくもない。

1.から5.までを全部満たしているとは言えない人でも、それらを目指す意識は持っておくべきだろう。

 

恋愛やモテの尺度でしか異性をはかれない人は、ここに書いたようなことを見逃してしまうだろうし、軽視するに違いない。

だが、そのような見る目のない異性は結婚相手としてはどのみち適していないので、関心を持たれないほうがかえって良いぐらいである。

逆に、幸福な結婚を考えている人なら、結婚に適した素養をちゃんと重視して、ちゃんと見ているはずである。

 

と同時に、世の恋愛観や結婚観も変わっていくべきだと私は思う。

恋愛は恋愛、結婚は結婚で最適な素養が異なっているとみんなが意識するようになったほうが、不幸な結婚が減るだけでなく、本来は結婚に最適な人々が結婚できない事態も減るんじゃないかと思う。

――『シロクマの屑籠』セレクション(2014年12月12日投稿) より

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by Alvin Mahmudov